古代かつぶしプロジェクト

古代かつぶしプロジェクト

焼津の鰹節文化は、古墳時代から受け継がれてきたと言われています。
この貴重な伝統を未来へつなぐため、私たちは古代の製法を再現し、商品化やイベントなどを通じてその魅力を発信していくプロジェクトを展開しています。


「古代かつぶし」とは?

焼津の鰹節――その起源は、古墳時代まで遡ります。
海とともに生きる焼津の人々が生み出した「煮堅魚(にかたうお)」と「堅魚煎汁(かつおのいろり)」。その原型である堅魚(かつお)は、日本最古の歴史書『古事記』にも記されるほどの歴史を持ちます。やがて奈良時代には、平城京の宮廷へと献上され、貴族たちの食膳を彩ったと伝えられています。焼津の海の恵みと知恵が都へと伝わるストーリーをご紹介します。



1.鰹を獲るー 焼津の海に生きる人々

焼津地域では、古くから鰹を獲って食べる文化が根付いており、その歴史は古墳時代にまで遡ることが発掘調査で分かっています。奈良・平安時代には網漁も行われ、土錘や 石錘と呼ばれる重りを付けた網を用い、安定して沈める工夫を施していたようです。こうした 漁法により、焼津の海では豊富な鰹が効率的に捕獲されていたと考えられます。

 

2.鰹を煮るー 命の恵みを伝える知恵

獲れた鰹は、堝型(なべがた)土器と呼ばれる大きな土器を用い、竈で煮込んでいたと推測されます。各所で発掘されているこの土器は、通常のものより口が広く、大きな食材を煮込むのに適していたようです。保存性を高めるために海水で煮込み、塩分を含ませることで腐敗を防ぎ、保存に適した状態へと加工されたのではないかと考えられます。

 

3.鰹を干すー風と太陽の力を借りて

煮上げた鰹は、焼津の海風を活かして干されていたと考えられます。まず干し台に並べて日光と風による自然乾燥を行い、水分が抜けて鰹が硬くなるとさらに乾燥を促すため、縄で結び、吊るして干すようなこともあったのではと推測されます。この工程により保存性が一層高まり、長期間の保管や持ち運びが可能な状態へと仕上げられました。

 

4.煮堅魚と堅魚煎汁が完成ー旨味を凝縮した保存食

十分に水分が抜けると、保存性の高い「煮堅魚(にかたうお)」が完成します。一方、鰹を煮込む過程で生じた煮汁は、腐敗を防ぐため、塩分濃度が15%以上になるまでじっくりと煮詰められたと考えられます。こうして作られた「堅魚煎汁(かつおのいろり)」は、貴重な調味料として重宝され、さまざまな料理に活用されていたのかもしれません。

 

5.鰹を納めるー 焼津の海の恵みが都へ

焼津で作られた煮堅魚や堅魚煎汁は、まず志太郡衙(しだぐんが・当時の郡役所)まで運ばれます。ここで管理・仕分けが行われ、一部は税として納められたとされています。その後、貢納品として都へと送られ朝廷へ献上されたようです。焼津の鰹加工品は、その高い保存性と旨味が評価され、貴族たちの間でも貴重な食材として重宝されたのでしょう。

 

6.鰹を味わう ー 宮廷料理に広がる旨味

都では、貴族たちの宮廷料理として煮堅魚を細かく砕いて料理に使用し、堅魚煎汁は調味料として活用されたと推測されます。やがてこの煮堅魚の製法は進化を遂げ、室町時代には焙乾技術が発展し、江戸時代にはカビ付けによる「本枯れ節」が誕生しました。そして、これが現代の鰹節へとつながり、今日の日本の出汁文化の礎となっています。

焼津で培われた鰹の加工技術は、時代とともに発展し、現代の日本の食文化に深く根付いています。古代から受け継がれてきた知恵と工夫は、今もなお鰹節の生産に生かされ、日本の食卓に欠かせない旨味の源となっています。


 本説明は諸説ある中の一つの解釈であり、株式会社いちまるの見解を含んでおります。

古代の製法を再現した特別な鰹節商品、近日発売予定です。ぜひお楽しみに!