古代人の生活と進化

古代人の生活と進化

日本では旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代のことを原始と呼んでいます。
ウルム亜氷期Ⅱの寒冷期が終わりをつげ、その後、温暖化によって海水面が上昇していき約6000年前には現在とほぼ同じような高さになりました。
 その結果、旧石器時代や縄文時代の前期まで陸地だった場所が水没し、古志太湾と呼ばれる入り江になったと考えられています。その後も大規模な治水工事ができなかったため河川の流路が定まらず、頻繁に洪水が発生していたため、人々は山のふもとで少し高いところや、平地の中でも標高の高い微高地などに住んでいました。

焼津市内だと高草山近辺に縄文時代の別所ノ段遺跡があり、この地では採れない黒曜石で作られた矢じりが見つかっています。

紀元前3世紀頃になると、登呂遺跡に代表されるような稲作を中心とする農耕社会になっていきます。下の写真のように高草山付近の三輪から策牛にかけて広がっていた清水遺跡からも農機具が見つかっています。

縄文時代から続く狩猟や漁労・採取も行いつつ農業を行う いわゆる“半農半漁”という生業の形は、昭和初期まで続きました。

三輪神社近くの清水遺跡から出土した遺物の中でも特に注目したいのは、「たも」の柄枠です。網を固定するために使った桜の樹皮が残っているそうです。また、この近くに位置する中里遺跡では土錘(どすい)が出土しており、網を使った漁業もおこなわれていたことがうかがい知れます。

五世紀後半に発生した宮の腰遺跡からはかつおの骨が発見されています。宮の腰遺跡は現在、焼津神社がある場所と重なっていて当時としては大きな集落と考えられていて、焼津神社は別名、入江大明神と呼ばれています。古代の人びとは焼津にできた入江で漁業をしたり、沿岸部の湿地帯などを利用して農業をしたりして暮らしていたようです。