
唐で624年に制定された武徳律令にならい、大和朝廷が大宝元年(701年)に制定した大宝律令の中に、日本最古の租税制度として定められた賦役令(ぶやくりょう)があります。
それによると税は、租、庸、調の三種類に分けられ規定されていました。
祖は、支給された田んぼ(口分田)によって一定量の米を国衙に納める税。庸は、成年男子が一定期間都で労役を果たすか、その代わりとして布や米などを都に納める税。
そして調は各地の特産物や麻布などを都に納める税を指し、正調と調の雑物に分けられていました。正調は、絹や糸や布など七種類の中からそれぞれの土地で産出するものを納め、調の雑物は、正調を産しない者が①鉄十斤 ②鍬三口(みふり) ③海産物のうち、どれかを納めることが決まっていました。
調の雑物として指定された海産物は二十九種類あり、このうちどれか一種類を貢納しなければならず、正丁(21~60歳までの男子)は規定量を、次丁(61~65歳)は規定量の半分、中男(17~20歳)は規定量の4分の1を納めることと定められていました。
また、正庁には調に加えて副物(付加税のようなもの)を上納しなければならない規定があり、それぞれの土地によって異なり三十六種類にも及びました。副物として認められていた海産物は、3種類だけで、塩一升、雑腊(魚の干物)二升、堅魚煎汁(かつおいろり)一合五杓(約126ml)※1、だけが規定されていました。このことから堅魚煎汁が重要な調味料として扱われていたことがわかります。また、雑腊の中でも堅魚(干したカツオ)は特別視されていたようです。
※1 奈良時代の単位 1斗:8400ml、1升:840、1合:84ml、1杓:8.4ml










