焼津は明治の文豪・小泉八雲のお気に入りの場所だった。水泳が好きだった八雲は水泳に向いた場所を探しており、焼津の深くて荒い海が気に入ったという。遠浅の海ではなく、「荒い海」が好みと言うから、よほど水泳に自信があったのだろう。現在の浜当目海水浴場や和田浜海岸で泳いだそうだ。焼津の海に魅了された八雲は、「夏の家」として焼津に長期滞在することとなる。しかし、当時の焼津は観光や避暑用の宿などはなかった。
八雲が描いた焼津の風景。
画像提供:焼津小泉八雲記念館提供
短編『乙吉達磨』(田部隆次訳)に「そこには宿屋がなかった、しかし、或魚屋の主人の乙吉と云ふ男が、私に二階を貸して、不思議な程色々に料理した魚の御馳走をしてくれた。」とある。海岸通りの2階を借り、亡くなるまでほとんどの夏を焼津で過ごした。そして、『乙吉達磨』のほか、『焼津にて』『海辺』『漂流』『夜光幻想』などの焼津に関する作品を残した。
写真提供:焼津小泉八雲記念館提供
家主の山口乙吉は大変正直者だったそうだ。宿代も破格で、八雲がお礼の気持ちを表して倍の家賃を払うほどだったというから、本当に無欲の人だったのだろう。八雲は乙吉を「神様のような人」と褒め、「乙吉さ~ま」と呼んでいたという。2人の間には国籍や仕事を超えた友情があった。八雲は焼津の海だけではなく、焼津の人に惹かれたようだ。当時、八雲が滞在した焼津の家は愛知県の明治村(愛知県)で「小泉八雲避暑の家」として保存公開されている。